■君の生きたいように・・・
自分の人生とは? 生きるとは? 誰もが考えるテーマですね。
〜 Life is a series of choices. 〜
≪あなたは、笑うのですか? 怒るのですか?≫
≪傷つけられた人間を、憎むのですか? 受け入れるのですか?≫
誰かを憎んでいることより、許すことのほうが難しい。 「天国への道は、狭き門にある」
多くの人は、傷つけられた人を憎む側に立つのかも知れない。 でも、許すことのほうが、狭き門だし、 だからこそ相手を許し、笑顔を向けたときに、 その許した人の心にパラダイスは存在するのかも知れません。
≪難しいからと、逃げるのですか? だからこそ、やってみるの?≫
言葉は呪文です。 「難しい」とか「大変だ」と言ってしまうと、 自分で、難しく大変なことだと、実行不可能に思い込んでしまう。 自分で自分に呪文をかけるのです。 あなたはどちらの魔法使いになりますか。
≪愛したことを後悔するのか? 愛したことを大切にするのか?≫
過去、愛した人のことを悪く言う人と、 どんな経験でも、それを思い出に変えて、 自分の悲しい過去も一緒に輝きに変えてまるごと愛する人がいます。
すべては、自分のその瞬間の選択だから・・・。
≪あなたは、戦うのか? 許すのか?≫
テロ戦争が、世界を恐怖に追い込んでいます。 テロの連鎖を止めるのは、怒りの連鎖、憎しみの連鎖から降りるしかないのです。 僕たちは「みんなが言っている」の中で、 自分の家族が殺されても、自分の考えを語り、 自分の意見を持ち続けられる人になりえるのか。
「降参」は、情けない言葉ではありません。 人を殺す戦いから「降りて参加しない」ことです。
人生を問うなかれ、人生がいつもあなたに選択を求めています。 その瞬間、瞬間に、あなたの人生が、あなたに人生の選択を求めています。 その選択の集合体があなたの人生になる。
あなたは、明日を楽しむのか、しらけるのか。 人を責めるのか、笑いかけるのか。 誰かのために、幸せを祈るのか、ある人の不幸を願うのか。 車中で、お年寄りに席をゆずるのか、座ったまま寝たふりをするのか。 いじめを止めろと叫ぶのか、周囲に流されていじめるのか。 競争して勝つことだけを考えるのか、仲間の成功を心から喜ぶのか。 部屋に引きこもるのか、変化を求めて外に出るのか。 空を見上げ微笑むのか、街の中で視線を落とし肩をすぼめて歩くのか。 未来に希望を求めて生きるのか、希望を捨てて悲観的に過ごすのか。 自分を見捨て死に向かうのか、明日を信じて息をするのか。 生まれたことに感謝するのか、生まれたことを後悔するのか。
人生が、あなたに問いかける。 次の瞬間、あなたは、どう生きるのかと・・・
■この航海は後悔しない
忙しくして、心が亡びるのは、 望みもしない方向に心と身体を使うからです。 だから、疲れないためには、楽しめることをどんどんやればいい。
でも、そうは言っても、やりたい仕事ばかりではないし、 運動だって決して楽ではない。 誰もが好きなことばかりして生きていくことはむずかしい。
でも、「出来事」は変えられませんが、 出来事をみる「視点」は、ずらすことできます。 視点をずらすとは、今までとは違う角度で世界を見ることです。 苦しさを、快感に変えることも可能なのです。
人は刺激を与えないと、退化するという法則があります。 頭も心も同じことが言えます。
心は動かさないとさびてしまう。 身体は使わないと衰える。 だから、何もない平凡な日常より、 つらくても、困難でも、生きて、あれこれ考える日常のほうが良いと思えるなら、 その人は、心が強くなった証拠だ。
だから、今日も荒波に漕ぎ出そう。
■正しさの罠
正義を武器に持ち歩くと、多くの負傷者を出すものです。
■私が私のサポーター
緊張していた何かがゆるむ瞬間。 ぐっと思い悩んでいたものが晴れる瞬間。 人はとても穏やかな顔になる。 そんな顔にたくさん出会ってきた。 笑顔が開き、心を開くと、自然と体まで開いてリラックスする。
いつも、どこに居ても、どんな場面でも、 緊張感がなく、いつも微笑んで、気負いがない。 そんなステキな人がいる。 そのように「開かれた人」は確かにいる。
いつも、威圧的で、緊張していて、しかめ面の「閉じている人」もいる。 話していても開放感がなく、挑戦的で、いつも何かに緊張している。 だから、その人と長時間一緒にいたくない。 そして、多くの人はその人のもとを去る。
開かれていると、空気も流れる。 閉じていると、呼吸のとおりも悪い。 心を開いていないと出会いの流れも悪い。 人との出会いを求めるなら、開いた人にならなきゃいけない。
もちろん、笑っていても緊張している人もいる。 その瞳の中に、攻撃性や不安が隠れている。 人は、人を信じ、周囲に友好的でないと、心は開かない。 だから、深く呼吸して、胸を開くこと、 そして、「相手は敵ではない、安心できる仲間」と、自分に言い聞かすこと。 何度も、何度も、お念仏を唱えるように・・・。
自分に自信がない人は、自分をサポートする必要がある。
多くのうつ病患者は、自分を責めている。 うまく生きれない自分を・・・。 完ぺき主義者の人は、うまく生きるという目的が、もともと高いことが多い。 セレブな生活をすること、仕事で成功を収めること、 人から称賛されること、高い目標を持つこと・・・・
その夢や目標は、誰かの受売りとも知らずに・・・。 それがなければ生きている意味がないと・・・。
さて、ここであなたに最高のパートナーを紹介しよう。
自分にとって最高のパートナーとは、友人や、恋人でも、配偶者でもない。 自分自身というパートナーだ。 なぜなら、いつも自分と一緒にいるのだから・・・。 だから、自分のパートナーをチェンジさせたほうがよい。 他人の攻撃は無視できても、自分の内からの攻撃はこたえるから・・・。 誰より高い目標を押し付けてくる。 それも四六時中だ。
厄介にも、自分自身を責めることが好きなパートナーはいただけない。 なぜなら、心の奥から自分を責めるのだから・・・。 そう、もっと、頑張りなさい。 もっと、成功をすべきでしょう。 もっと、賞賛され、うらやましがられないと・・・もっと、もっと!ってね。
あなたの人生は、あなたが主人公でしょう。 その人の価値観に応えなくても、あなたは生きているだけで素晴らしい。
普通の自分ではダメなのですか?
普通であることが美しいと思う。
自分をサポートしよう。こんな感じで・・・
今日のあなたは、よくやった。
完璧なサポーターは、やっぱり自分自身なのだ。 そして、時折、人は、自分に優しくならいといけない。 だって、人は死なないで生きているだけでも、スゴイことだよ。 誰かに、さよならを告げられても、 やっぱり呼吸をしている自分の身体自身を愛することだ。
やっぱり明日の太陽は必ず昇るし、 また、笑える未来があなたにも、 しっかり用意されていることを信じていることだ。 人間にとって大切なことは信じられるか、信じられないか。 希望は僕たちを捨てない。 僕たちが希望を捨てるのだから・・・。
ユダヤの聖典に、神はなぜ人類を生かしているかというのがある。 それは、わずかな「儀なる人」が存在しているからだという。 この「儀なる人」は、有名人でも、金持ちでもない。 ましてや偉い学者や政治家でもない。
でも、腐りもせず、殺人や事件も起こさず、笑っている人。 こんな人を「儀なる人」と言う。
そんなステキな人々が、地球に住んでいるから、 神さまは僕たちを滅ぼさないのです。 そして、「儀なる人」は、自分が「儀なる人」だと気づいていない。 自分は偉いと思ったり、自分は「儀なる人」かな?と ナルシストになると「儀なる人」からはずされるのです。
こころが開くか、閉じるかは、起こった出来事ではない。 それを、楽しめたか、楽しめないかにかかっている。
■やさしい嘘を、あなたに・・・
「インディアンは嘘つかない」は有名な言葉だ。 しかし、彼らもウソをつく。 彼らネィティブ・アメリカン(通称:インディアン)とつきあうと、 それはウソだとわかる。 ただ、彼らは人の悪いウソはつかない。
「ウソも方便」とは、法華経に出てくる話だそうです。
仏教によると、子供が親を苦しめることは罪が重いのです。 幼い子の早すぎる死は、両親にとってこれほど苦しく、悲しいことはありません。 それを償うために、子供たちは賽(サイ)の河原で石を積むそうです。
それを解放するのは親の布施(善行)だそうです。 布施といってもお金ではありません。 それは、いつも笑顔で、誰かのために生きる布施が大切だそうです。 これは「法華経(ホッケキョウ)」の中の方便品(ホウベンポン)の経文が基本になっています。
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